こんばんは。
これまでに数百名の生徒に指導をしてまいりました、
兵庫県豊岡市の「ようこピアノ教室」向原葉子です♪
今回は、「ピアノ曲で有名な作曲家について」お伝えしていきたいと思います。
ご自身が演奏する楽曲を作曲した、作曲家について知る事は、
その曲を演奏する上で、とてもとちぇも・・・!大切な事ですが、
そこを疎かにしてしまっている方も多いのではないでしょうか・・・。
その作曲家が生きた時代背景、その曲が作られた理由などを知ると、
より深く曲を理解し、演奏する事に繋がります。
当教室の生徒さん達には、
せめて発表会やコンクールで演奏する曲の作曲家についてだけでも、
自分で本を読んだりして、お勉強してほしいな・・・思いますが、
皆、してないんだろうな・・・汗
という事で、せめて、こうやって私がまとめたものを読んで、
作曲家についての理解を深めてくれるといいな・・・と、思います。
大学で私が勉強した事に加えて、その後、自分でも調べた事も取り混ぜて、
まとめています♪
学校での課題で、作曲家について調べなきゃいけなくなって、
検索して、ここにたどり着いた方もあるかと思います。
これを参考になさって頂いてもよいのですが、
丸っきりの「丸写し」では、何も覚えられませんし、自分のためになりませんから、
きちんと自身で調べ研究したうえで、あくまで「参考」として下さいね!
今回は1回目ですので、「音楽の父」「ヨハン・セバスチャン・バッハ」です♪
言わずと知れた、大作曲家で、息子たちも音楽家となり、楽曲を多数残していますので、
ヨハン・セバスチャン・バッハは「大バッハ」と呼ばれたりしています。
音楽を志す者にとっては、避ける事の出来ない作曲家で、
ピアノでも、ピアノ専攻に進むのであれば、バッハは必須です。
2声のインベンションから、3声のシンフォニア、そして平均律。
フランス組曲や小プレリュード、パルティータなどもやりますね。
バッハの楽譜は、上記のヘンレ版が良いと言われており、
私も、インベンションとシンフォニア、平均律はヘンレ版を持っていますが、
(ちなみに平均律は、ヘンレ版、ブライトコルプ、ウィーン原典版、全音の4冊を所有。
指番号やアーティキュレーション等の違いを比較して勉強するためです)
パルティータと、イタリアコンチェルトは、下記の春秋社を持っています。
日本人の手指に合った運指が書かれている・・と師匠から教わりましたので、
迷ったときは、他の作曲者の場合も、春秋社を1冊は購入する事が多いです。
専門的で難解。
「バッハを弾かせれば、本当に上手いかどうかわかる」
と言われる、ごまかしのきかないバッハで、
コンクールの課題や、音高や音大の入試にも決まって入って来ますが、
小さな子供が演奏できる、可愛くて短く、易しい小品もたくさんあります。
当教室の発表会でも、小さな曲を数曲を演奏する、まだ習って間もない生徒達には、
1曲は、バロックの1ページから2ページの位の、
短くて易しい楽曲を演奏して貰う事が多いですが、
その中でも、バッハの曲を選曲する事は、結構多いです。
コンクールでもおなじみ、発表会の曲でも大活躍の、
「プレ・インベンション」↓
可愛くて、綺麗な曲がたくさん入っています。
私、バッハが大好きなもので、つい本題から逸れました・・・汗
もっと、好きな曲とか、バッハ弾きのピアニストについてとか、
たくさんたくさん・・!書きたいのですが、別の記事でまた・・と、思います。
さて、本題のバッハさんへ移ります。 ↓
【John Sebastian Bach (ヨハン・セバスチャン・バッハ)】
(1685~1750)
バッハは、1685年3月21日、ドイツ中部の小都市アイゼナハで、
音楽一族に生まれます。
バッハ家は代々優れた音楽家を出した家系で、
200年の間に53人もの音楽家が出て、ドイツ各地で活躍しました。
(スゴイですね~200年で53人ですよ)
バッハは8人今兄弟の末っ子で、この一族の中で最大の音楽家となり、
のちに「大バッハ」と呼ばれました。
血筋が良いと、その中で特に突出した人物が出ますよね。
バッハは、その典型と言えるでしょう。
バッハは音楽だけでなく、学校の成績も良かったようで優等生だったそうです。
そうでないと、あんな素晴らしい楽曲をたくさん!書けませんよね。
ところが、バッハが9歳の時、5月に母が、翌年2月には父が亡くなってしまい、
8人の兄弟は親戚にばらばらに預けられることになります。
このことは、大変バッハに大きなショックと与え、その影響も大きかったようです。
その後、バッハは、優秀な音楽家であり、教会のオルガン奏者だった、
長兄のヨハン・クリストフに引き取られ、鍵盤楽器演奏の基礎を学びます。
(ココですね!!これがなければ、バッハがあれほど素晴らしい、鍵盤楽器のための楽曲を多数書けなかったと思います)
とても勉強熱心だったバッハは、兄の貴重な楽譜を、毎晩月明りで半年もかけて書き写し、
目を悪くしてしまい、手術を2回したのですが良くはなりませんでした。
この目を悪くし、手術に失敗したことが、バッハの寿命を縮めた・・・と言われています。
65歳で亡くなったバッハ。
それでも当時としては長生きだった訳ですが、
目の手術に失敗しなければ、もっと長生きしたであろう・・・と言われています。
とにかく勉強家だったバッハは、有名な音楽家の演奏会に行っては、
直接作曲家に質問をするなどして、様々な様式や正しい作曲法を学んでいきました。
15歳で北ドイツのリューネブルクの聖ミカエル教会の聖歌隊員となり、
18歳でザクセン=ヴァイマール公弟ヨハン・エルンストの宮廷楽士となり(スゴイ!!)
アルンシュタットの新教会オルガニストに就任します。
この教会には、大変立派なオルガンがあり、
バッハは精力的に演奏や作曲に取り組みました。
有名な「トッカータとフーガ」(この曲好きです♪)は、
この時期、20歳の時の作品です。
以上、「ピアノ曲で有名な作曲家を知ろう」バッハ編 その1をお伝えしました。
その2に続きます♪
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