「日本のピアノ」ピアノが日本にやってきた経緯 ピアノの歴史 その4

皆さん、こんばんは。

ピアノ指導歴28年。

これまでに数百名の生徒に指導をしてまいりました、

兵庫県豊岡市の「ようこピアノ教室」向原葉子です♪

今回は、

「日本のピアノ」ピアノが日本にやってきた経緯 

ピアノの歴史 その4

について、お伝えします。



日本に「ピアノらしきもの」

がやってきたのは1549年で、



鹿児島から長崎に、

キリスト教の布教とともに、

フランシスコ・ザビエルと一緒に

やってきました。



ですが、200年の鎖国により、

全部なくなってしまいます・・・



この頃は、

まだ、ピアノを作った、

イタリアのクリストフォリも

生まれていないので、



恐らく、

何かしらの鍵盤楽器・・・

であったと推察されます。



・日本最古のピアノ

シーボルトのピアノ


1823年に、

医師であり、植物学者でもあった

ドイツ人のシーボルトが来日し、

長崎の出島からピアノを入れました。



このピアノは、

クリストフォリのピアノではなく、

四角い、スクエアピアノです。



シーボルト自身は、

ピアノも演奏出来たので、



徳川将軍に自分の演奏を、

弾いて聴かせています。



1828年

シーボルトが帰国の際、

船の難破によって、

積み荷が海に流出し、



その積み荷の中に、

幕府禁制の日本地図があった事が

問題となって、



出国停止処分を受けたのち、

国外追放になります・・・

(シーボルト事件)



その為、3年後には再来日するはずが、

5~6年後になってしまいましたが、



また日本にやって来て、

のちに、幕府の顧問となっています。



シーボルトが

日本に持ち込んだピアノは、

1828年に帰国する際に、

両替商だった「熊谷氏」に

預けられました。



それが、

現存する日本最古のピアノ

(シーボルトのピアノ)で、

山口県の萩市「熊谷美術館

に展示されています。

(萩市「熊谷美術館」シーボルトのピアノ)



そして、明治維新になって初めて、

きちんと出来上がったピアノ

が入りました。



これは、「西洋式の教育の為

に入ってきたので、

芸術というよりは、

教育色が強かったうです。



・ヤマハの創業者 

山葉 寅楠(やまは とらくす)


皆さん、ご存知、

日本の大手楽器メーカー

ヤマハ」です。



山葉寅楠は、

紀州徳川藩の武士の息子で、



幼いころから、かなりの乱暴者で、

ついには勘当されて

蟄居(ちっきょ)されていましたが、



その事に我慢が出来ず、

家出・・・


 

大阪の時計屋に弟子入りして、

出島に、時計のメカニズムを

学びに行きます。



そして、

奈良で時計の修理屋を始めるも、

事業に失敗



食べていけないので、

剣術で身を立てていました。



1887年に、浜松の小学校にある、

アメリカ製のオルガンの修理

(当時1台45円 高級品です)

を手掛けたことから、

オルガンの構造を学び、



1888年に、

日本最初の本格的オルガンの製造

成功しました。


・1889年 

合資会社山葉風琴製造所 設立


・1891年

山葉楽器製造所 設立


・1897年

日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)設立



なんだか「ヤマハの歴史」

みたいになりましたが・・・(笑)



まあ、日本のピアノの発展は、

山葉寅楠さんなしには語れないので・・・



日本のピアノの誕生は、

教育制度とともにあり、



その教育システムの為に

「オルガンが欲しい!」

「オルガンが作りたい・・!」



と、寅楠が思い、

オルガンを製造する会社を作り、



さらには、ピアノを作りたい・・!

と、アメリカに行き、



ピアノづくりの勉強をした・・

という経緯があるので、



キリスト教徒共に入ってきた・・・

と言っても、日本では、

宗教色はほとんどありません。



キリスト教の弾圧によって、

当時の楽器も楽譜も

すべてなくなってしまっており、



長崎に、

口伝による歌などが残っています



この事から、

人間の信仰の深さがうかがえまね。



日本のピアノの誕生は、

教育制度とともにあった事

やはり大きく、



その為、ピアノは、

一気に広まって行きました。



以上、

「日本のピアノ」ピアノが日本にやってきた経緯 

ピアノの歴史 その4

について、お伝えしました。




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