「モーツァルト♪と秘密結社」ピアノで有名な作曲家について知ろう その2

最終更新: 6月29日


皆さん、こんばんは。

ピアノ指導歴28年。

これまでに数百名の生徒に指導をしてまいりました、

兵庫県豊岡市の「ようこピアノ教室」向原葉子です♪

今回は、

「モーツァルト♪と秘密結社」

ピアノで有名な作曲家について知ろう その2

について、お伝えします。



では、

モーツァルトの生涯の続きです♪



11~13歳

2度目のウィーン旅行

オペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」上演

(12歳で作曲



初めて、本格的なオペラを上演し、

交響曲も演奏するなど、



作曲家として一段と成長し、

創作面では成功。



13~15歳

イタリア演奏旅行。

父と共に、ミラノ、ボローニャを経て

ローマへ


(*システィーナ礼拝堂では、

門外不出の秘曲とされていた、

ドメニコ・アレゴリの、

9声部の「三ゼレーレ」を聴き、

暗譜で書き記した・・・という、

逸話が残っています。)



モーツァルトにとっては、

オペラ作曲家として、大成するための

イタリア旅行でしたが、



結果、

神童としての名声を各地で広め、

数々の栄誉に輝いただけでなく、



各地のスタイルを吸収し、

器楽と声楽の領分や、



とりわけ、オペラの創作に

多大な成果をもたらし、



オペラ作曲家としても、

本格的な活動を開始します。



はああ~・・・

この年齢で、

本格的に作曲家として活動

ですよ・・!



やっぱりスゴイですね~!!



15歳

2度目のイタリア旅行

セレナード「アルバのアスカニオ」

ミラノで上演。



16~17歳

3度目のイタリア旅行

ミラノで、オペラ「ルチオ・シルラ」上演



17歳

2回目のウィーン旅行



18~19歳

3回目のウィーン旅行

オペラ「偽りの女庭師」上演



凄~く!!

旅行、行ってますよね~



今のように、飛行機があって、

交通の便が良くなっていても、



アーティストが、世界各国飛び回って

演奏活動するって、

相当大変なことですし、



当然、望まれなければ、

行けないわけですが、



あちこちで、もてはやされた

モーツァルトは、

落ち着く間など、なかったのでしょう・・



・モーツァルトのピアノソナタ


モーツァルトの18曲ある、

ピアノソナタも、



そのほとんどが

旅行中に作曲されていますが、



「ロンドンのバッハ」と呼ばれた、

バッハの次男

C.P.E(カール・フィリップ・エマニュエルバッハ)

に影響を受け、

「急」「緩」「急」の形式で作曲しています。



皆さん、よくご存じの

「トルコ行進曲」は、



モーツァルトのソナタ第11番K331の

第三楽章に「トルコ風ロンド」

として書かれたもので、



あの1曲だけが、

独立して書かれたものではない

んです。



このK331のソナタ自体、

変奏曲になっており、

(変奏曲は

ヴァリエーションが進むにつれて

どんどん・・!難しくなります

結構難しいんです。



ですので、

少し弾けるようになってくると、

「この曲を弾きたい・・・!」という

生徒さんはすごく多いのですが、



皆さん・・!これは、

「ソナタ」なんです・・!



つまり、テキストが

ソナタにまで進んでいなければ、

弾きこなせないんです。



「トルコ行進曲」

が弾きたいのあれば、

最低ツェルニー30番の中盤までは

進みましょう♪



さて、

モーツァルトの生涯年表に戻ります。


21歳

ザルツブルグでの職を辞し、

ミュンヘン、マンハイムへ

就職旅行したが成果なし・・・



これはですね・・・

モーツァルトひとりなら、

仕事は決まっていたんですね。



でも、モーツァルトに

家族が頼っていた事と、



その家族全員が、

贅沢のし放題だったこともあり、



その家族全員を養えるような

法外な収入を希望したために、

なかなか決まらなかった・・

と言われています。



なんだか、いつの時代も・・・

という感じですよね・・・



家族全員が優秀で、

稼げる人間ばかり!の場合は

良いですが、



ひとりだけ、大成功した人がいると、

そこにたかる・・っていう・・・



22歳

マンハイムからパリへ旅行

アロイジア・ヴェーバー

(のちのモーツァルトの妻の姉で、

ソプラノ歌手)と恋愛。



パリでの就職活動も、

不備に終わります。



この年の7月に、

旅行に同行した母が亡くなり、

帰路ミュンヘンで、

アロイジアに失恋



この年は、モーツァルトにとって、

とても辛い年でした。



その為、秘密結社である、

フリーメイスンに傾倒し、

のちに正式に加盟する事になります。



・モーツァルトとフリーメイスン


1784年に、

フリーメイスンに正式加盟した

モーツァルトは、



翌年の1785年には、

フリーメイスンの為の音楽を、

たくさん作曲しており、



その曲調は、晩年に向かって、

より深い曲調になっています



モーツァルトの曲といえば、

明るい曲調をイメージをする方も

多いと思うのですが、



モーツァルトの作品は、

特に、短調のものに名作が多い

と言われていまして、



私の大好きな、

モーツァルト絶筆となった、

「レクイエム」も、短調(ニ短調)で、

名作です。

*第8曲 ラクリモーサ(涙の日)8小節までで絶筆。

以降は弟子のジュスマイヤーが補筆。

作曲は必ずしも曲順に進められるわけではない為

第9、10曲、第3~7曲は、旋律や和声などの、

主要な部分はモーツァルトの作曲


この、

モーツァルトの「レクイエム」は、

ショパンも好きだったようで、



自分の葬儀には、

「モーツァルトのレクイエムを演奏して欲しい」

と頼んだそうです。



バッハとショパンが大好きな私も、

自分の葬儀には、



モーツァルトの「レクイエム」と

バッハの「ゴールドべルク変奏曲」を

流して欲しいなあ~‥

と思っております。



では、大好きな「レクイエム」は、

これまた大好きな

「ベルリンフィル カラヤン指揮」の

演奏でどうぞ♪↓

以上、

「モーツァルト♪と秘密結社」

ピアノで有名な作曲家について知ろう 

その2

について、お伝えしました。



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