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「モーツァルト♪は借金まみれだった・・?!」ピアノで有名な作曲家について知ろう モーツァルト編 その3

更新日:2021年7月1日


皆さん、こんばんは。

ピアノ指導歴28年。

これまでに数百名の生徒に指導をしてまいりました、

兵庫県豊岡市の「ようこピアノ教室」向原葉子です♪

今回は、

「モーツァルト♪は借金まみれだった・・?!」

ピアノで有名な作曲家について

知ろう 

モーツァルト編 その3

について、お伝えします。



モーツァルトの生涯年表も

中盤からいよいよ後半へ。



・ザルツブルグ時代


23歳

ザルツブルグに帰郷

ザルツブルグ宮廷にオルガニストとして、

復職



ウィーン時代は

自立した作曲家」として、

自由な行動、作曲が出来ていましたが、



収入源は、

演奏会や作曲、弟子の指導等で、

安定しない為、



当然、生活も安定しませんでした。



ザルツブルグ時代は、

宮廷に仕える音楽家でしたから、



行動や作曲に制限はあるものの、

生活は安定していました。



自由な働き方を求めれば、

安定はなく、

安定を求めれば、自由はない・・・

現代も変わりませんね。



24歳

ミュンヘン旅行

オペラ「イドメネオ」上演

女帝マリア・テレジア 崩御



25歳

高額の収入を与えてくれていた、

ザルツブルグ大司教と衝突し、解雇

そのまま、ウィーンに定住を決意



26歳

オペラ「後宮からの誘拐」を

ウィーンで上演


8月、アロイジアの妹である、

コンスタンツェ・ヴェーヴァ―と結婚


この結婚は、

モーツァルトの父の猛反対

受けていましたが、


モーツァルトは、

コンスタンツェをとても愛していた為、


反対を押し切って結婚しています。



コンスタンツェの母が、

モーツァルトに大変熱を入れていた為、

かなり結婚を後押しした・・・

と言われています。



この頃から、自らの演奏用に、

ピアノ協奏曲の作曲が相次ぎます



・モーツァルトと予約演奏会


モーツァルトは、

今現在の演奏会のスタイルである

「予約演奏会」を始めた

「歴史上で初めての人物」で、



宮廷の力を借りずに、

自分で自立して演奏会を行いました。



ちなみに、

モーツァルトの作品にある、

K(ケッヘル)番号ですが、



番号の前のについている、

この「K」って、なに・・・???



と、思っていた方も、

多いのではないでしょうか。



これは、オーストリアの作品番号で、

K=ケッヘル」とは、

オーストリアの音楽研究家で、

植物学者であり、法律家だった方です。



モーツァルトの作品の年代順目録の

編纂を行い、



その際に、自分の名前のK(ケッヘル)と

番号を付けていったので、



モーツァルトの作品には、

この「K」が作品番号として、

つけられているんです♪



27歳

ザルツブルグに帰郷

「ミサ ハ短調 K.427(417a)」を上演



このザルツブルグ帰郷の際、

長男が誕生するも、旅行中に死亡。


この帰郷は、父のレオポルトが、

ザルツブルグ大司教との間を

取り持ち、実現した・・・と

言われています。



28歳

第2子 

カール・トーマス・モーツァルト誕生



この年に、

フリーメイスンに正式加盟し、

以後、

その思想に、深く影響を受けた

みられています。



29歳

父レオポルトがウィーンを訪問

息子の演奏会が盛況なことを喜ぶ


この時、父レオポルトは、

音楽の父「ハイドン」と出会い、


息子、ウォルフガングの才能について

賛辞を受けた・・と言われています。


この時、モーツァルトは、

弦楽四重奏曲集を

ハイドンに献呈していまして、



その為、この弦楽四重奏曲集は、

ハイドン・セット」と、呼ばれています。



30歳

オペラ「フィガロの結婚 K.492」

を、ブルク劇場で初演



31歳

「フィガロの結婚」がプラハで大ヒットしたため、

同地訪問


4月 ベートーヴェンがモーツァルトを訪れた・・・

と言われていますが、確かな記録は

残っていないようです。


5月 父レオポルトが死去


10月 新曲の作曲依頼を受け、

オペラ「ドン・ジョバンニK.527」

を作曲、初演



この頃から、モーツァルトは

お金に困っていたようで、



頻繁に、借金依頼を行っていた・・

と言われています。


・モーツァルトと借金


これもまた、

よくある話なのですが、



幼少期から才能があり、

もてはやされ、

派手な生活を行ってきて、



収入が入れば入っただけ、

大勢の仲間と飲み歩き、

ギャンブルもし、

高価な洋服を購入したり・・・



と、散財を続けたため

借金は、

どんどん大きくなっていきました。



どんなに大きな収入があっても、

支出の方が大きかったんですね・・・



また、妻のコンスタンツェは、

家計に疎かったようで、



そうなると、当然、

家計は破綻しますから、



収入の前借をしたり、

友人知人に借金をしたり・・・

と、



あちこちに、借金をするように

なってしまったようです。



・モーツァルトの年収


モーツァルトが亡くなったとき、

その借金は5千グルデン(約2千万)

にも、のぼっていたとの事ですが、



当時、モーツァルトの収入は

平均年収2千万



その年によっては、

1億円を超える年もあった・・・

という事なので、



かなりの高所得者だったわけですが、



それなのに、借金まみれになるって、

本当に、お金に無頓着すぎたんですね・・・



困窮した一番の原因は、

ギャンブルにはまったため・・・

と言われていますが、



ギャンブルの才能が

なかっただけではなく、



類まれなる、

音楽の才能があっても、

ビジネスの才能も全くなかったので、



身近に、きちんとお金を管理

できる人がいれば、

モーツァルトは

もう少し長生きできたていじゃ

ないのかな・・・



と、思ったりします。



それでは、オペラ「フィガロの結婚」より、

「恋とはどんなものかしら」です♪どうぞ♪↓

以上、

「モーツァルト♪は借金まみれだった・・?!」

ピアノで有名な作曲家について知ろう 

モーツァルト編 その3

について、お伝えしました。



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