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「モーツァルト♪は下品だった?!」ピアノで有名な作曲家について知ろう その1

更新日:2021年6月28日


ピアノ指導歴28年。

これまでに数百名の生徒に指導をしてまいりました、

兵庫県豊岡市の「ようこピアノ教室」向原葉子です♪

今回は、

「モーツァルト♪は下品だった?!」

ピアノで有名な作曲家について知ろう その1

について、お伝えします。



はい♪

皆さん、ご存知「モーツァルト」です。

W.A.モーツァルト

(ウォルフガング・アマデウス・

モーツァルト)

(1756ー1791)

オーストリア ザルツブルグ



小さな子供が演奏するのに

適した、テクニック的に易しく

短い小品もたくさんあり、

モーツァルトが幼少期に

作曲したもの多数



レベルが上がれば、主にソナタや、

ロンド、連弾曲などでも

演奏する機会が多いので、



ピアノ学習者にとっては、

クラシックの作曲家の中でも、

かなりポピュラーな作曲家ですね。



・モーツァルトってどんな人?


モーツァルトの作品と言えば、

キラキラとして美しく、

軽やかで繊細

というイメージがあるので、



モーツァルト、その人も、

天才であり、その美しい音楽と違えず、

美しく、気品あれふる方

なのではないか・・・



と、思われる方も

多いかと思うのですが・・・



ハイ。

ごめんなさい。



モーツァルトはそんな人じゃ、

ありません・・・



「天才で繊細」

というのは、

間違っていないんですけれど・・・



う~ん・・・

「下品」な人?かな・・・(笑)



下ネタが大好きで、

従妹のベーズレに、



「う〇こ」だの「お尻」だの、

「ク〇」だのと言う言葉を散りばめた

手紙を、何度も書き送っており・・・



特に当時、貴族たちの間では、

下品な手紙をやりとりすることが

流行っていたらしいのですが、



それでも・・ですよね・・・汗



ついでに言うと、

「俺の尻をなめろ」

などという題名の声楽曲まで

作曲していまして、



曲中では、

「なめろ~なめろ~

俺の尻をなめろ~!」と

繰り返し連呼しています・・・

(カノン(ひとつのフレーズを模倣して進む)

形式の曲ですので・・)



ううう~ん・・・

美しい楽曲のイメージが・・・(苦笑)



まあ・・そもそも

音楽家、芸術家には変わった方が多い

ですから・・



凡人の気質や発想では、

人の心に訴えかける何かを生み出す・・・

などという事は出来ないわけです。



今後書いていく予定の作曲家たちも、

かなりの非凡ぶり(色んな意味で)

ですので、お楽しみに♪



・モーツァルトの生涯 幼少期


1765年 オーストリアのザルツブルグ

に生まれます。



ザルツブルグは、とてもよい塩が

産出される街で、

白い建物が多く、大変美しい街です。



3歳

父レオポルトの手ほどきで、

クラヴィ―ア(ピアノの前身楽器)

を弾き始めます



5歳

最初の作曲をします。

「アンダンテ ハ長調 K1a」↓

5歳で、このクオリティ!

さすが天才ですね。



他にモーツァルトの天才ぶりを示す

逸話として、



当時、ヴァイオリンも

父から手ほどきを受けていた

モーツァルトが、



父の友人の弾く

ヴァイオリンの音を聴いて



「僕のヴァイオリンの音より

4分の1低い」と、



僅かなピッチの違いを

聴き分けたそうです。



父レオポルトが、

うちの息子はスゴイ!

コレは行けるんじゃないか??!



と思って、

ステージパパになったのも

分かる気がしますね♪



6歳

ミュンヘン、ウィーンに演奏旅行に

出かけます。



この「ウィーンへの旅行」で、

シェーンブルン宮殿にて、マリア・テレジアの前で

御前演奏を行い、



当時7歳だったマリア・アントーニア

(後のマリー・アントワネット)に

プロポーズした・・という逸話も残っています。



7歳~10歳

パリ、ロンドンへ演奏旅行



モーツァルトは、幼少期から、

青年期に至るまで、



両親と姉ナンネルと共に

演奏旅行を行い、



結婚後は、妻、子供と共に、

演奏旅行を行っていますが、



これは、幼少期から青年期までは、


・見聞を広める為

・各地の音楽家からの刺激を

受けるため

・モーツァルトの名を世に広めるため


であり、



青年期以降は、

いわば就職活動のため

演奏旅行を行っていました。



当時は、今のようにメディアも、

ネットもありませんので、



各地を旅行して、

その先々で演奏を行って、

名前と実力を知ってもらい



また次の

演奏会の約束を取り付けたり、

作曲の依頼を取り付けたりするため

だったんですね。



当時、その土地で流行っている曲を

即興でアレンジして演奏する事は、

演奏家の力量を知らしめるものでしたから、



変奏曲を作り作曲をすることが、

大変得意だったモーツァルトは、

旅行の先々で、名声を得ました



実際、14曲ある、

変奏曲のうちのほとんどが

旅行中に作曲されたものです。



皆さんが良くご存知の

「きらきら星」も、

フランス歌曲なのですが、



きらきら星変奏曲」として、

モーツァルトが変奏曲に

アレンジしています(1778年)。



では、私の大好きな

ギーゼキングさんの演奏でどうぞ♪

次回は、

「モーツァルトの生涯」の続きから

お伝えしますね。



以上、

「モーツァルト♪は下品だった?!」

ピアノで有名な作曲家について知ろう」

その1

について、お伝えしました。



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